普及員会では、今後の普及のあり方を探るため、福岡の草ヶ江ヤングラガーズに視察に行きました。
 草ヶ江ヤングラガーズはヤマハの村田亙、リコーの月田伸一、コカコーラ・ウエストジャパンの淵上宗志などトップリーガーを多数輩出する九州福岡の名門クラブです。

草ヶ江ヤングラガークラブ訪問記

キーワードは「21世紀の人づくり」

2006/3/8 普及委員会 

 3月4日(土)・5日(日)普及委員(寺尾、小日向、小林)で福岡に行って来ました。
 昼に福岡空港到着、すぐに草ヶ江ヤングラガーズクラブ(以下KYRC)の事務局長・藤島さんが迎えに来てくれました。新潟を出るときは吹雪、福岡はまるで5月の連休といった感じでした。春爛漫・・・

 すぐに昼食をとった後、福岡高校を見学。他の学校は卒業式や定期考査でおやすみという事でした。元日本代表で新日鐵釜石の「ヒゲの森さん」こと森重隆氏、そして早稲田大学永田組(東芝府中を破り日本一)の神田識二郎氏(九電監督)と会い、立ち話を。
 頭も凄い学校ですが、ラグビーでも名門校、福岡の底力を見た思いです。福高はこの4月に実施される全国選抜ラグビー大会に21世紀枠での出場が決まっています。森さんは非常に恐縮していましたが・・・・。部員数は23人。特別大きな選手もいないのですが、東福岡とやると40点差、しかしその東福岡は九州大会では決勝で59対0に手勝利。そんなことが推薦された理由とのことでした。

 夜はKYRCの方々が歓迎会を企画してくれました。
 遅くまで楽しい会でした。6時半から始まり、終えたときは11時をまわっていました。どなたと話しても出てくる言葉は「21世紀の人づくり」。我々3人とも、これは驚きでした。芯がしっかりしているなと感じました。

 翌朝は8時半に、小学校1〜3年生のグラウンドへ。8時55分クラブソングで始まります。(遅れると正座させるのだそうです。)1年生が生徒11人・指導者9人、2年生が生徒22人・指導者5人、3年生は生徒24人・指導者5人でした。学年別にボールを使わず入念な基礎トレを1時間。チーフコーチが大まかに仕切りますが、種目別に仕切る指導者が替わっていました。多くの保護者がいます。指導は勿論のこと、交替で荷物の持ち帰りや給水等の仕事をしていました。

 次に、中学が活動しているグランド(福岡歯科大G)へ。中2がアタックディフェンスをしていました。相手はKYRCのOBの高校生。ところがこれがまた凄い!東福岡、大分舞鶴など・・・。中2は体も大きく、またハンドリングなどもかなりのレベル。これは凄いなと実感しました。ここでも傍らには多くの保護者が見守っています。保護者にもかなりのウェートがかかっていました。

 そして、1時間で次のグラウンドへ。平和台陸上競技場。そこでは新人研修が行われていました。入会後3ヶ月間は、ボールを使わずに基礎トレなどを行い基本をしっかり教え込むのだそうです。これがまた凄い!壁での逆立ちを見ていて、こちらも涙が出そうでした。300秒(5分)間でしたがやっている子の何人かは泣きながら・・・。見ていた母親が「○○ちゃん、頑張って!」と声をかけると、指導スタッフから「黙っていてください!」と注意されていました。
 後から聞いた話では、お母さんを子離れさせるために行っているとのことでした。最後に柔軟、腹筋などのテストで合格が出るとバッジがもらえるのです。そのときの子どもたちの嬉しそうな顔・・・。拍手され一層嬉しそうでした。勿論、だめだった子は来週にまた挑戦です。返事の声や同時に手を挙げないと、すぐに叱られ、来週やり直し。
お母さん方に何故、KYRCに入れるのか聞くと
「厳しいクラブだと聞きましたので・・・」
非常に印象的なシーンでした。

 そして1時間程してから小学校5年生の新人大会へ。コカコーラ・ウエスト・ジャパンのグラウンドでした。西洋芝2面の綺麗なグラウンドでかなりの試合数でした。それがまたレベルが高い!早稲田大学2年生の豊田君も応援に来ていました。彼は香椎ヤングラガーズのOBなのです。

 KYRCは生徒数200名(最盛期には320名)指導者が100名の大所帯。創立してから36年、長いからいいのではなく、いいから長いのだと思いました。

 片渕副会長さんから空港まで送ってもらい、帰路につきました。

草ヶ江に行き感じたこと

1 クラブの芯は「21世紀の人づくり」

2 横断幕をつくり、練習中はそれをかざしておく

3 全てに任期を設ける

4 目標は学年20名

5 叱れる人間が褒めることもできる

6 スクールではなく、クラブである

7 オリンピックの年にニュージーランド(生徒経費16万円)へ、その中間年にNZがへ。

 一番印象的だったことを挙げようと思ったのですが、全てが印象的で一つにはしぼれません。それくらい全てに渡って、凄い(こういった言い方は抽象的で良くないのですが)クラブでした。一昨年、NPO法人としても認可されたそうです。

 新潟全体としても交流を続けて、学ぶ価値の十分あるクラブと実感しました。